耕作放棄地を出さない
畑が荒れると故郷の風景が荒れ、人の心が荒ぶと言われています。ゴミが投げ込まれた畑を毎日見ながら登下校する子供達、その光景が当たり前になったとき、何とも感じなくなったときのことを考えると背筋が凍る思いがします。
農業は食べ物の供給源であると同時に、日本人たる心の根幹に深く関わっている生業だと思うのです。ご先祖さまが守り育てたその環境を受け継ぎ、次世代に渡したい。そんな気持ちが我々を動かしているのだと感じます。
例えば、道路と住宅に挟まれた狭小な畑。持ち主から「もう畑作業をする元気もなくなってしもうたんで面倒見てやってくれんか?」
経営的に考えると効率が悪すぎる… でも、私たちはそこに麦を植え、管理し、得た報酬を地主に還元しています。
なぜなら、
麦は景観作物でもある
春先、稲作の田んぼにレンゲソウが咲いている光景や、夏、畑一面の菜の花に心躍らせた方も多いのではないでしょうか。麦もそのような役目を担っています。人々の目を楽しませ且つ地域の観光資源にも成り得る“景観作物”としてひと役買っている作物です。
実りの春、畑に来て見てください。はだか麦は黄金色に、もち麦は赤紫色で、風が吹けばうねる大海の波の如く… 必見です。
美しい風景を守る、それも農業に携わる人間の責務だと感じています。
八百万の神が座す場所
農業は自然とともにあります。梅雨、台風、酷暑、大雪… 人間の力では如何ともしがたいお天道様頼みの仕事でもあります。ゆえに、目に見えない“何か”に守られているという感覚があり、それは日本を含むアジア圏にに暮らす人々の“万物に神が宿っている”という考え方の元になっているのだと思います。
ジェイ・ウィングファームの畑を歩いて回ると、使い古された農機具が点在しているのにお気付きになるでしょう。
それは打ち捨てられているのではなく、祀っているという感覚…「今までよう働いてくれた、ありがとう」の感謝の念と共に。
目に見えない何かと共に生きている一体感、また時にそれらに励まされている自分に気付きます。